水流の「季・とき」折々・・・
「季・とき」折々… 2016年 1月26日(火)
■無題
床屋さんに行ってきました。 床屋さんはきもの水流から私の足で徒歩50歩。 普通の人なら35歩で着く。 短髪の私は45日くらいの割で通います。 髪を刈ってもらうとなんだか気持ちまで軽くなる、アタマも財布も。 床屋の店主は私より一回りと少し年下なんだけど妙に話が合って(合わせてくれてるのかもしれない)楽しい。 時間にして一時間程度か。 ずっと他愛もないことをしゃべってる。
言わば同じ個人事業?主、なんてことのない(変わり映えしないとも言う)日々を積み重ねてる者同士、毎回毎回そんなに目新しい話題はない。 行く度に同じような話を飽きるほどしているのに、なんでなのか“その話前にも聞いた!”って無粋なことはお互い言わない。 まるで初めて聞く笑い話(お笑いのネタを何度聞いても笑うのと同じで)の様に笑う。 別に幼馴染みでもなんでもないんだけれどこれが気が合うということか。
閑話休題
ところで、人って60歳になったところで60歳の精神年齢(まだ、なってませんが)になんかならないんだな、とふと思う(私だけ?みんなちゃんとなるのか?) 無論、見かけは抗う術もなく変化してしまったけれど、肝心の中身は高校生くらいのままなのだ。 この先10年、20年先も(あ、生きていればの話だけど)もしかしたら、何も変わらないような気がする。
つまり…、老人のように見えるあの人もこの人もきっと自分が老人とは思っていないのかもしれない。 要するに気持ちの問題なのかもしれないね。 なんてことを床屋の鏡の中の爺さんになった自分に話しかけてみた。 なぜ男ってものは総じて少年の頃の自分に幸せの思い出を重ね映すのだろうか。 私の中に居る私にとって、生まれ故郷の夏のかぶと山の中でどこにいるかわからないかぶと虫やクワガタの気配に耳を澄ませ、カラス揚羽やシロスジカミキリの優雅なる姿形に出会いたいと必死で目を凝らすあの瞬間はいまでも濃密にそして鮮明に幸せな記憶と交差している。
つい昨日の様な子供の頃のそれはもう47年も昔のことだ。 元来、と言おうかなんと言うか、そもそも、人が生きるってことは“確実に不確実性に満ちた”未来を生きることなのだ。 それだからみな寄らば大樹の影、安全に敷かれたレールの上を本能的に走りたがるのかも知れない。 思えば…、いま振り返れば不確実なことばかりして生きてきた。 危なっかしい、と言われ続けた少年の頃と何も変わっていない。 あ~、今日は雪だ。(これを書き始めたのは雪の降ると或る日)降りしきる雪は瞬く間に私の住む小さな町の小さなベランダを白く染めた。 それはそれは奥深い悲しみや苦悩までも包むかのよう…。 たとえそれが一時の片らに過ぎなくても…。 こんな私の人生でさえ意味がある、少しも悪くないじゃないか、と思えるような雪景色。。。
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