きもの専門店
そう謳うのは覚悟と精通が問われます
着物に関わり四十年と少し…
まだまだ学ぶことばかり…
きもの、って知れば知るほど知らないことばかりです

その多様さゆえに定義付けることの難しい更紗
古渡にはじまりペルシャ、フランス、イギリス、…
  バティックとして知られるジャワ更紗もありますが、日本の職人の手による和更紗の美は
やはり格別です
―唐草小花文―

暈したり、一層の斑も許さなかったり
澱みの様に堆積した手わざが意図して刷毛を捌く…
かのフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホさえ憬れた
日本の職人の筆捌き

染織作家の手から放たれた作品は
一つの花、一つの蝶、一つの鳥、に
生命が吹き込まれているのです 
添田敏子 ―白ぶどう―

もしかしたら
この小さなキモノ店は
アナタをドキドキさせることが
出来るかも知れません
どうぞ遊びにいらしてください 

水流の「季・とき」折々・・・

「季・とき」折々… 2016年 9月8日(木)



没日まだ

山の端にあり

唐辛子


米山喜久子




コラム

時間…、時間ってなんなのでしょう。

時間て奴は誰かに縛られることはなく、でも、時間の方はときに人を束縛する。 

現在過去未来、確かに過去はあったし、現在は現在で瞬く間に過去を創り出している。 

事実、これを書きだしたさっきはもう過去の彼方だ。 

残り僅かに残された未来もこの分だとアットイウマニ過去に押しやられてしまうのだろう。 

砂時計の最後の砂が瞬く間に細いくびれに吸い込まれてゆく、あの感じにも似ている。 

ひとは誰もいろいろな軸の中で生活をしている。 

時間軸はその一つだ。 

その時間軸?とやらがずれてしまうのか、面白いもので歳を重ねるにつれて時間が過ぎるのが早い(と、感じる)。 

一日なんてもう瞬きをする間に過ぎてしまい、またすぐに次の変わり映えのしない明日がやって来る。 

変わり映えのしなかった筈の昨日や一昨日、先一昨日は何故かたちまちのうちにセンチメントな想いへと記憶を変え、ついこないだの些細な出来事でさえなんだか愛おしく思えたり。 

そう言えば…、つい数日前、市場で買った瓜を縦に真半分に切ったのだけれど、余りにも美しい切り口や整然と並ぶ種の姿形がとても愛らしく…、切ったままサランラップで丁寧にくるまれ、もう何日も食べないまま冷蔵庫を開けては取り出し眺めている、、。 あぁ…それもセンチメント?。 

かようにかくも長き?に渡り私のアタマの中には、瓜の甘さと切り口の美しさがせめぎ合い、ぐるぐると渦を巻いているのです。


【自撮り】

なにしてるか、というと、、。

カメラの調子が悪く鋭意いじくりまわし中

私はこのお手軽一眼で商品を撮影するので

このひとが調子悪いと仕事にならんのです。

一旦”初期化”しちゃう、なんて手もないことはないけれど

この一眼、HPにてご紹介する作品の色や質感が出来る限り忠実に再現出来るよう

店内の照明に合わせてホワイトBやら露出やら、いろいろをこと細かく調整してあるので

初期化すると再設定出来るかどうか、キレないアタマではとんと自信がなく…

過去に二度三度したけれどもう死ぬかと思う程(大袈裟)大変でした。

なんで、、、老眼鏡掛けて…

眉間にしわ寄せて(あ、いつも寄ってる、基本神経質なもんで)

必死です。


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