きもの専門店
そう謳うのは覚悟と精通が問われます
着物に関わり四十年と少し…
まだまだ学ぶことばかり…
きもの、って知れば知るほど知らないことばかりです

その多様さゆえに定義付けることの難しい更紗
古渡にはじまりペルシャ、フランス、イギリス、…
  バティックとして知られるジャワ更紗もありますが、日本の職人の手による和更紗の美は
やはり格別です
―唐草小花文―

暈したり、一層の斑も許さなかったり
澱みの様に堆積した手わざが意図して刷毛を捌く…
かのフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホさえ憬れた
日本の職人の筆捌き

染織作家の手から放たれた作品は
一つの花、一つの蝶、一つの鳥、に
生命が吹き込まれているのです 
添田敏子 ―白ぶどう―

もしかしたら
この小さなキモノ店は
アナタをドキドキさせることが
出来るかも知れません
どうぞ遊びにいらしてください 

叙事百選集

叙事百選集/刺繍・京繍2012年7/7(土)

叙事/その本来の意は事実をありのままに述べ記すこと。また、述べ記したものです。
つまり、主観や論評を避けて事実のみをそのままに述べることを主とする文となります…筈です。
でも、所詮私の書き物です。曇り眼鏡と浅薄な人間性による、偏見と曲解が顔を覗かせます。(笑)
弛緩した私感が時折織り交ざることも少なくありません。ご理解の上お読みくださればと思います。

刺繍工藝

工藝刺繍染織---岸本景春

-草花秋春文-
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古くより繍/ぬいと称され、日本女性の焦がれる日本刺繍、その興りは五世紀頃、仏教美術として日本に渡来した繍仏にその始まりを持ちます。 繍仏とは縫い仏、要するに仏像、或いは仏教にまつわるものを刺繍で表現したものです。 残されたその作仏の多くは制作者(職人)の名前すら残されてはおりませんが、唯々優品として現代に受け継がれています。 日本における繍は伝えられた繍仏に留まることはなく、能装束や打掛、小袖と言った衣裳の数々に広がりを見せてゆきます。


上述のように、日本における刺繍は御仏の姿を表すもの、繍仏として伝わり広められたようです。 つまり当初は衣裳ではなく、あくまでも信仰の一助としての刺繍であった訳です。 室町時代の一時期では仏教の衰退につれて繍仏もその勢いは影を潜める訳ですが、後の戦国武将、織田信長や豊臣秀吉らの能楽への愛好はその演舞や能楽師(猿楽師)に対する賛美のみならず、華やかな刺繍の施された能装束や甲冑にも及び、為に繍が再びの発展をみたであろうことは容易に想像することが出来ます。それゆえにこの二武将の時代、安土桃山を一部の識者において日本文化のルネッサンスと称するのかもしれません。 
ただ、ルネサンスとは元来再生を意味する言葉、音楽などにもルネサンス音楽なる言葉あるようですが、芸術美術におけるそれは古代ローマの復興そのものに対して云われたものであり、なぞらえて安土桃山時代がそれと同様の意味合いを持つのかは私などにはよく判らないのですが・・。


やがて明治に入ると小袖にとって変わる正装として長着が登場します。 それに伴い袋帯が長着姿の装いの中心をなすものとして大きな発展を遂げます。 当時の袋帯は現代のような織り一辺倒ではなく、刺繍と織りがその役目を司った時代です。 また、いまでこそ、刺繍の殆どは海外に依存するものとなってしまいましたが、当時は日本の職人の為せる技であったようです。 
織物と違い、糸を自在に操り遊ぶことが出来る刺繍は平面的な意匠に留まらず、繍を重ねることでより立体的な表現を可能にし、更には刺繍技法を組み合わせることにより、様々な表現を編み出していったようです。 それにつられるように紋様の研究も進み、その結果、相乗効果として技巧/意匠の発展が遂げられたのだと思います。 
爾来百有余年、近年では本格的な日本刺繍はほぼ途絶えてしまったかに思われましたが、僅かながらも時代に適った継承者/継承団体の存在があるようです。


そもそもこうした伝統技能とはなにか特別な存在として畏怖を抱くものではありません。 また範として崇め奉るだけのものでもありません。 とりわけこうした日本古来の伝統技術は、伝統と言う名の下に容易に触れることが許されないものであったり、完成されたものであるように取り扱う傾向があるようです。 
でも、想うのですが、その時代において完成されたもののように見えていたとしても、伝統技術というものは刺繍や織り、染めに限らず、常に新しい技術を取り入れ進歩しているものなのです。 そうでなければ伝統技術とは単なる歴史の遺物に過ぎないのです。

いつの時代も職人は自己の仕事への尊厳の中で生き、伝統を確実に伝え継ぐために手を動かしています。 その一針一針がやがて後世に伝統工藝と賞される作品を残すことになり、或いは伝統工藝を枯渇させないための一針となるのです。 現代の職人の真の評価は後世に委ねることになりますが、後世に委ねる為には現代の職人の仕事の存続に我々呉服商はたとえ僅かながらも支えとならなければなりません。 本物は商い人の如く声高に何かを訴えることはあまりありません。 唯、そこに静かに存在するだけなのです。


自然が創り出す美しさ、たとえば植物が自ら内包する力で作り出す一葉一花の美しさは力強さと儚さに満ち、到底ひとの力の及ぶべくものではありません。 ことほど左様に自然の美しさは尊く、どれほどそれが小さな存在であったとしてその姿形は尊厳に満々ています。 つまり美しさをどこまで訴求したとしても、ひとの手は自然の手を凌駕することなど到底出来ないのです。 でも、反面、ひとの手でしか創れない美しさも在るのです。

掲載画像はひとの手で創られた見事としか形容するしかない岸本景春の刺繍作品です。 帯と言う言わば実用品の範にありながら芸術/美術品として観賞に耐える極めて優れた出来映えであります。
【※こちらの作品の販売は致しておりません。あしからずご了承くださいませ。】


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