水流の「季・とき」折々・・・
「季・とき」折々… 2011年 11月23日(水)

歯の衣を少し脱がせて書くを楽しんだ。(※もちろん上の書ではなく、下段駄文のお話)
■好きこそ物の…。
振り返れば六十有余回、文才などおよそ持たない私(無論商才もない)がこのコラムを無文責に続けていられるのも誰からも文句を言われぬを是幸い、好き勝手を気儘放題に書いているからに他ならない。若かりし写真を見て恥ずかしいと思うことがある。それとてその日その時には判らなかった。それと同じ、“今このこと”が恥ずかしいと判らぬから、げに恐ろしい。
10月も始め、お店の電話を取ると受話器から思いも寄らぬが聞き覚えのあるお声。唯一無二とは言わないけれど、私が呉服業界で尊敬して止まない五指に満たぬ方々のお一人からの電話であった。暫し時間の経つのも忘れ、素でお話をさせて頂いた次第。
何年か前、初めての拝眉の際も同業者同士の腹の探り合いなど初めの内だけですぐに素で話が弾み(合わせて戴いたということも多分にあるやも)待ち合わせた珈琲店の閉店時間を過ぎてもまだお話しは尽きず、電灯も消された駐車場で更に長々話し込んでしまったほど。
端くれとは言え、呉服業界に身を置きながらこんなことを申し上げるのは不遜至極かもしれませんが、(業界を案じるがゆえの苦言と。)この業界、なんとも浅薄な人が多い。(人柄に由するものではないと思う)早い話、適当な仕事で一日が暮れ、一月が暮れ、一歳が暮れてゆく。かくて適当が堆積されてゆく。
判らない者が、解からない話を、判らない者にし、判らないまま適当に過ぎてゆく。(何かの流行歌みたい)己の仕事をよく識っていない。為すべきことも分からない。思考も巡らさない。広く浅く識るならまだ救いもあるが、狭い上に浅いとくる。要するに仕事に対する情熱が希薄、取扱い商品に愛情がなく、商品に関する周辺情報にも疎い。もっと言えば欠落している。話をまとめれば、不勉強も甚だしい。錆びるのも当然。
好きこそ物の上手なれ、なんて言う言葉がある。まさにその通りと思う。何事においても然り、当然ながら好きな人はその上達も早い。さほど着物が好きではないのであろう。景気良き頃、たまたま勤めることになった職場の商材としか見えていないのである。たいていの人がそうだといっても過言ではない。その内に極々普通に仕事をこなす程度でもとても優秀に見えてくる。何ともぬるい、ぬるい、ぬるーい業界なのです。凋落も当然か。
そんなだから、興味を持って親交を深めたいと思う対象人は基本、呉服業界にはいないのですが、そんな中、上述の電話の主、私の興味をぐぐぐっ、ぐいっ、と惹きつける魅力を持った数少ない人物のお一人であるのです。
異彩を放つ呉服業界の異才、とは誉め過ぎか。実年齢は私よりも少しお若いのだが、精神年齢は私よりもずっと上である。もちろん言うまでもなく何事に寄らず私などは到底足元にも及ばない。その辺の呉服店の店主など、何束一絡げになってかかろうと到底敵わない。天賦の才に加え独学の智を身に着けた人。独特のオーラを放っている。ひと目でただ者ではないとわかる。ひと目でただ者とわかる私とはそこから違う。だけどそんな氏をしても売れ行きが芳しくないらしい。この人にかかって芳しくなければ、一体誰が芳しいのか、何だかとても心許ない思いが満ちてくる。
人生、お終いの時にはぷらまい0?なんて聞いたことがある。だとすれば私はこれまで好き勝手生きてきた放蕩のツケをこれから先、延々果てしなく支払わされるのか、それとももうすでに払わされている最中なのか。そう想えば何だか苦ばかり多い半生とも思う。人は何かを得れば何かを失う?。とも聞く。とくに何かを得た覚えはないけれど失うものはあれもこれも。もしやそうでないとしても、そうとしか思えないのはやはり正真正銘本物の阿呆の証かもしれない? 好きではないが嘆息と愚痴が思わず漏れる。嗚呼…愚自愚自。
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