水流の「季・とき」折々・・・
「季・とき」折々・・・ 2009年 03月21日(土)

□記憶…
いまでこそ こんな有様ですが 幼い頃の私はと言えば 幼稚園の音楽発表会で 女の子に交じり 男子で唯一「木琴を弾いてる」ような可憐な男の子でありました。 しかしその反面 学芸会で与えられたキャスティングはと言えば 大きな「クモの巣」を張った「クモ」の役柄で 美しい蝶に扮した女の子を捕まえると言うもの。 絶対に持ち合わせている筈のない性格の一面を先生に見抜かれ、 そんな汚れ役を与えられことも… どのように王子様に退治されたのか結末はまったく覚えておりません… しかし見事にその役柄がハマったのか、 隠されていた才能が花開いたせいなのか、 抜てきとなったその「クモ」のまま 幼稚園生活を満喫し過ぎたことも手伝い 先生方の手に少しだけ余ったようで、 ある日 園長先生から それとなく退園を勧められ お寺に預けられたこともあるようです。
その辺りの左遷人事異動の記憶は 曖昧模糊としてはっきりしないのですが その預けられたお寺には 至る所に綺麗な布が沢山あり 転園の事などすっかり忘れ、興味津々で魅入っていた記憶しかありません。 いまにして思えば そんな頃から 有職文様や正倉院文様などの意味は解らずも、興味を惹かれていたのだと思います。 綺麗な布が好きだったのでしょう。
また、親戚の叔父の机の上に置いてあった花札にも興味津々で、さりとて鉄火場に就職するつもりはなかったように思いますが、行く度に 手に取り眺め その美しい絵柄に見入っていたことを鮮明に思い出せます。 ひとの記憶とは不思議なものです。 今日、お昼御飯に何を食べたのか?と言うレベルは軽くクリアーし、食べたのか、食べていないのかさえ 時折思い出せないでいるのにそうした記憶ははっきりと残されているのです。 都合に応じて記憶を失くされる政治家よりも遥かに優秀なようです。 そして、小学校に上がる頃になると もはや興味の対象は綺麗な布から、綺麗な布を纏った同級生へと移っていった訳なのですが それでもやはり綺麗な布 綺麗な図案に対する興味だけは薄れなかったようです。 ただ、それが高じて現在の仕事に就いているのか?と問われますと 決してそうではなく かと言って何か運命的な韓流ドラマのような物語がある訳でもありません。 経緯をお話すれば lost・SeasonⅣよりも長く 、またこちらでお披露目出来る筈もありませんので 割愛させて頂きますが…
さて、「だらだらした前ふりから 一体何が言いたいの!」とお叱りを受ける前に本題に入らせて頂きたいと思います。
私は着物専門店を我が生業として四半世紀となる訳ですが、 工芸染織の魅力について しばし想いを巡らせる事があります。 着物専門店として、つまり仕事として こうした工芸染織に拘わっている以上 やはり客観的な目線で、また 経営者としての目線で染織を捉えないといけないと思っています。 工芸染織の魅力に取り憑かれてしまうのではなく 家業として収益を上げるべく経営をすることが大切と心に固く誓っている筈なのですが いつのまにか染織の魅力に引き込まれてしまっている事があります。 言わば経営者としての目線ではなく、一着物愛好家として染織を見てしまっているんです。 商材として仕入をする着物や帯を、お客様にご覧頂く際に、「それが何であるか」を出来るだけ正確にお伝えするべく 仕入れの際に事細かに聞くようにしているのですが そうしたことが余計な知識となるのでしょう、段々と眼は肥え、工芸染織の魅力と言う深みに引き込まれてしまうようなのです。
では、そうした工芸染織の魅力とは何なのでしょうか? つまり染織のどこにそれほど惹かれてしまうのか? 「そんなものに理由はない」 と言ってしまえばこの話はそれで終わりです。 でも、敢えて工芸染織の魅力を言葉として置き換えるならば 「手技の尽くされたもの」だけが保つ 「独特の気配」なのではないでしょうか? それはなにも染織に限ったことではありません。 家具職人が手掛ける工芸品の如き家具も然り、 腕の良い左官によって塗られた漆喰の壁 宮大工の経験と英知が尽くされた寺院の細工 など等、 特に積極的に注意を向けている訳ではありませんが そうしたものには 何かしらの気配があるのでしょう、 目に留まり、暫し気を奪われてしまうのです。 どこに気を奪われたのか すぐには判らないこともあります。 しかし多くの場合 言葉として表現することの叶わない何かに惹かれているのです。 敢えて言葉にするのならば 職人がその作品と対峙した痕跡でしょうか、 職人とは。。。 それは、それまでの「概念」を破り 当たり前とされた慣習に従わず それでいていつかはその中で新たな正統となるものを受け継ぐ者、 革新のように見えてその実、本当の意味で古き良き伝統を受け継いできた者たち。。。 そして「気配」とは“そうした者たちだけ”が残した言葉には出来ない何か。。。 目には直截見えていなくても ひとの意識には はっきりと見えているのだと確実に感じられるのです。 あくまでも私の個人的見解に過ぎないのですが、少なくとも私にはそれが感じられるのです。。。
ちょっと力が入り過ぎて疲れましたので 今回はこの辺で。。。
※こちら。。。極めて魅力的な紅型友禅です。 紅型において極めるべきは何と言ってもその彩色にあるのだと想わせられる色彩です。



