水流の「季・とき」折々・・・
「季・とき」折々・・・ 2010年 3月11日(木)

■真贋
こうしてまがりなりにも着物専門店を営んでいるといろいろ様々なことを訊かれます。 今回はその中で訊かれることの多い”作家/作家もの”と言われる作品/事情について少し触れてみたいと思います。
インターネットで着物に関連したサイトを覗いていて思うことなのですが「作家もの」や「落款有り」と言った文字を見掛けることがあります。 興味を持ってそのまま読み進んでゆくのですが、説明文のすべてに目を通して見ても 作家の名前や落款についてなにかしら説明されていることはあまり多くはないようです。 説明のない事を不審に思っている訳ではありません。 敢えて記していないのか、それとも記しようのない作家/落款だからなのか? そこに不信感?を抱いてしまうからなのです。
昔から“石を投げれば作家に当たる”、と揶揄されることの多い京都 確かに言われるようにそうした職業が多い事も京都の特徴のひとつでもあります。 伝統工芸士や重要無形文化財技術保持者のような文化庁から指定が必要とされる資格認定者を除き 作家という曖昧な呼称はとても使いやすい便利なものと言うことが出来ます。 つまりある意味そう宣言さえすれば、誰でも作家を名乗ることは可能なのです。 このことは結城紬や大島紬などの品質表示である「証紙」と あるところで同じ根を持つような気がしますが、それについてはまた別に機会を設けてお話したいと思います。
伝統工芸士とは? かかる伝統的工芸品産業の従事者において、実務経験の年数に加え、知識試験や実務試験などの一定の試験検査を行いその中で優秀な伝統的技術を保持するものに「伝統工芸士」の称が付与されます。
では、人間国宝/重要無形文化財技術保持者とは? そのまえにまず、「重要無形文化財」とはなんなのか?なのですが、日本国文化財は「有形文化財」や「無形文化財」、そのほかに「民俗文化財」や「無形文化遺産」「世界遺産」など十数種類に分類されています。
有形文化財とは解説するまでもなく、建造物に対してのものであり、有名なところでは東大の大講堂(※安田講堂)や愛知県庁本庁舎・名古屋市役所本庁舎・また、京都の俵屋旅館や京都四条の南座などがそれにあたります。(※これらはごく一部でありその他にも多数の指定がなされています。)つまり、歴史的景観に寄与し、造形の模範となり、再現が容易ではないもの、を文部科学省/文化庁が指定する訳です。
対して「無形文化財」とは演劇・音楽・工芸などの無形の文化的所産で歴史上/または芸術上価値の高いものに指定が行われます。その中で特に重要と定められたものを「重要無形文化財」として認定し、その保持者が個人の場合、重要無形文化財技術保持者となります。 また団体の場合はそれを「保持団体」と称します。つまり人間国宝とはあくまでも通称であり、正式には重要無形文化財技術保持者(※団体の場合は要無形文化財技術保持者会員)となるのです。
さてそこで。。。 もちろん作家と呼ばれる方の中には伝統工芸士の資格認定者もおられれば、重要無形文化財技術保持者、いわゆる人間国宝と呼ばれる方もおられます。 失礼な言い方かもしれませんが、いわゆる「証紙」付きであると言えます。 もちろんそうした有資格者以外にも 沖縄に渡り琉球染織の知識や技術を習得し、かの地で工房を開き染織作家/染織家として製織されている方、染織の聖地とされる京都で修業を積み友禅作家としておられる方には いわゆる「証紙」付きではないけれど、折り紙付きと保証される方もおられる訳です。 そしてその他方では なにやら厳めしい名前と立派な落款で武装した展示会用のにわか作家さんまで存在するのです。 それゆえややこしいのですが、要するにそうした存在そのものが疑問視される即席作家?まで含めればその形態は実に様々なものであるのです。
弊店にお手入れで持ち込まれる着物を見るにつけ思わされることなのですが、あまり上質でないとおぼしき着物や帯ほど、そうした落款や墨字で書かれたような作家名や銘がたくさん付けられているように思います。 それはたとえば帯〆や帯揚げなどにも言えることなのですが、そうした和装小物も一見高そうに見える桐箱モドキに入れられているモノの方が実は安物のことが多いのです。 つまり、品物それ自体に「上質」がなく、ひと目では良いものに見えない、要するに品物では勝負が出来ないから 何か他のもので武装(虚飾)する訳です。 着物や帯にも同じようなことが言えなくもありません。 不実な商品ほど 桐箱に箱書き、中には何が書いてあるのか解らない意味不明な短冊や色紙 … あまつさえ“これ、大丈夫なの!?”と こちらが心配するようなことがつらつらと書き連ねられている。 読んでも意味は解りません。 もちろんすべてがそうだとは言っている訳ではありません。 でも、概ねそうした傾向があるのもひとつの事実なのです。 そうしたいろいろを見るに付け想うのですが、「本物」は本来声高に多くを語らないものなのです。 むしろ、黙していることの方が多いように思います。 黙してはいても必ずそれは目利きによって見つけられるものなのです。(いま、ハッ、と気付いたのですが、多くを語る私はナニもの?…)
私の真贋はお客様にご判断を委ねることとしまして… ま、黙しておれない私はこうして声高に語る訳ですが、 少しは良心の残る私は そうした度が過ぎた大袈裟な表現や 意図して何かと勘違いさせる表示 ましてや違法すれすれの悪意さえ感じられる表示は どうしても好ましいとは思えないのです。 いや、もっとはっきり言わせて頂けば、心底嫌いなのです。 ネットに限らず、世の中は様々な商法で溢れかえっています。 とくにこうしたインターネット販売においては お客様である消費者の方は 画面の向こう側にいて そこに記されている情報や画像から、判断するほかなく、それゆえ真剣に画面を見つめ、慎重に説明文を読んでおられる筈です。 ならば、画面のこちら側にいる販売店は それ以上に真剣且つ真摯な態度で臨まなければならないのは言うまでもないことなのです。 顔の見えないインターネットであるならば尚更の事だと思うのです。
なんだか、いい加減な筈の私らしくない事を申しましたが、商売である以上、また商法と謳うのならばあくまでも「法」でなければいけません。 ちなみに辞書で法を引いてみますと、(1)「物事に秩序を与えているもの」・「法則」・「のり」・「—にかなった振る舞い...」とあります。 つまり商法である以上それは確実に秩序に則った“商い”の法則 であり、商いの法則にかなった振る舞いであるべき、ではないでしょうか。
フぅ…、やはり いつものクチグルマとは違って慣れない事は疲れます。。。 なので、今回はこの辺で。。。
ではでは。。。
【掲載画像について】
紋意匠の塩瀬地に手描き友禅で桜と楓が描かれた九寸名古屋帯です。 こうしたストイックなまでの友禅を見せられると 京都の友禅職人もまだまだすてたものではないな、とあらためて思わされます。 染色作家ではない、一、職人の”御見事”としか形容しようのない手わざ… そうした職人の魂に畏敬の念の抱くのは私だけではないように思います。
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